やりたいことを見つける時、自分らしい生き方をしたいけど、どうしていいかわからない…という時、こんな質問をされることがあります。
「自分のお葬式で参列者になんと言われたいか?」
「こうなったらいいなを、とにかく全部書き出してみて。コツは制限を取り払うこと」
自己啓発の本などにもよく出てきますよね。
この問いかけをされて「そうか!私はこんなことをしたかったのか」「自分の方向性が見えてきた!」という人もいると思うのですが、そんなこと急に言われても…とか、その質問に意味あるの?と思う人も意外と多いのでは?と感じます。
そしてこの質問に答えられればOKというものではないな、という思いも持っているのです。
使いやすい質問だから、よく聞く質問だけれど実は取り扱い注意!な質問だというのが私の考えです。
注意1:とりあえず「それっぽい答え」を出そうとする
初めて私が初めて『もし何の制限もなかったとしたら、あなたはどうしたい?』と質問をされたとき、実はとても新鮮な気持ちがしたのです。
私のクライアントたちは
「自分が何をしたいかわからない」
「好きなことが見つけられない」
と悩む人が多かったので、この質問をしたらきっと彼女たちも、いろいろな未来を想像してくれるだろうと思って、一時期、よく使っていました。
でも実際には「そもそも非現実的すぎてイメージできない」「実際の人生ではたくさん”制限”があるのに、制限を取り払うことの意味がわからない」と、眉間に皺を寄せて考えてしまう人の方が多くて。
でも聞かれたからには答えなければいけない。
だからそれっぽい言葉を無理やり答えるのです。
なんか違和感があるなぁと思って、「それって本当にやりたいこと?」と聞くと、「昔、ちょっとやりたいなぁと思ったことはあるけれど、別にそこまでじゃない」って言われたことが何度もありました。
コーチングを受けていた私の元同僚も「もし何の制限もなかった〜とか、お葬式で〜とか聞かれるけど、ものすごく苦手なんだよね。だからそれっぽいことでコーチが喜びそうなことを言ってる」と話してくれたことがあります。
未来の姿をイメージするのは自分自身のためであって、私やコーチのためじゃありません。
でも「とりあえずでも、それっぽいことを答えなくちゃ」と言われてしまっていたのも事実です。
それに気づいたとき、私は「もし何の制限もなかったとしたら〜」と言う質問は、ほとんど使わなくなりました。
注意2:「理想と現実は違う」ことに気づくと理想に引きこもる
この「理想と現実は違う」ことに気づくと理想に引きこもる」は、まさに私自身のことです。
はじめに書いた通り『もし何の制限もなかったとしたら、あなたはどうしたい?』と聞かれたとき、私はとても新鮮な気持ちになったし、元々未来を想像することは好きだし得意だったので、いろいろな思いが溢れてきました。
それをノートに書きながら、理想の未来を達成している自分自身を具体的にイメージしてニヤニヤしていたのも1度や2度じゃありません。
イメージできることは叶う、思考は現実になる…と思っていたので、私の未来はバラ色!と思っていました。もちろん、ただ願っただけでは叶うはずないとも思っていたので、行動もしてみました。
そして今。6年前に願った未来が叶っているか?と聞かれたら、全力で「No!」と叫びたいぐらい。
私の理想にはバーンアウトして、1年近く最低限の仕事をこなすのが精一杯の無気力状態になる…なんてことは入っていませんでした。
「絶対にこれを形にしたい」「1年後には◯◯を達成したい」と同じ志を持って始めたはずなのに、わずか1ヶ月後に「別にそこまで考えてない」と手のひらを返されるなんてことも入っていません。
現実は理想通りにはいかないんですよね。
制限をなくして考えたところで、現実はたくさんの制限があります。
もちろん制限がある中で、自分が成し遂げたいこと、叶えたいことをするにはどうするか?を考えることが大切なのはわかります。でも夢を描けば描くほど、現実とのギャップに打ちひしがられることがある事もまた、事実なのだと思います。
結果、理想に引きこもり現実逃避してしまうことは起こりやすいなと感じます
注意3:「今ここ」に目を向けにくくなる
注意2:「「理想と現実は違う」ことに気づくと理想に引きこもる」と少し被るところもあるのですが、意識が未来に飛びすぎると「今この瞬間」に目を向けにくくなることがあります。
「今のこの状態は私の理想とは違う。好きなことを仕事にしなければ」
「こんなことをするために、この会社に入ったわけじゃない」
どちらもよく聞く言葉ですが、本当にそうなのかな?と思うのです。
振り返れば私自身もそうでした。「自分の理想とは違う、ここは私のいる場所じゃない」と思い、理想の未来を叶えるために、もがきました。まさに手当たり次第という言葉がピッタリ!
とても焦っていたのだと思います。
今考えると、その時いた場所でやれることは他にもあったはずなのです。あるいはもしかしたら私が「これが理想」と思っていた以上のものが、「今ここ」の場所にあったかもしれません。
理想と今を見比べて、理想に近づけるために努力すること、環境を変えることは大切なことだと思います。
でも「今あるもの」「今を大事にすること」もとても大切なことだなと思うのです。
制限をとって考えること、未来のお葬式を考えるよりも、その奥にある思いを探究することが大事
制限を取っ払って考えたり、お葬式でなんと言われたいかと考えて、そこから未来を切り開いていくことが得意な人、そのやり方がうまくいく人は、そのままで良いと思います。
うまくいっている方法を変える必要はないですよね。
でも制限を取り払って考えるというのが苦手な人、私のように理想を考えるのは好きだし得意だけれど、今に目を向けにくくなっている人は、まずは自分がイメージしやすい範囲の未来を考えてみてください。
そして大事なのはその次。
「その未来で叶えたいのは、どんな感情なのか?」
「それを叶えたいのは、どうしてなのか?」
自分が叶えたい未来の奥にある思いを探究すること。
例えば「3年後には、週休3日にしたい」と考えたとします。ここだけにフォーカスしてしまうと「今働いている会社は週休2日だから、週休3日の会社に転職しなくちゃ」や「起業した方いいのかな」と考えてしまうかもしれません。
もちろんそれが悪いわけではありません。
でも「どうして週休3日にしたいのだろう?」「週休3日でどんな気持ちになりたいのだろう?」と考えてみると、違う側面が見えてきます。
そしてそれは、今いる環境でできることかもしれません。
「今ここ」にあるものに目を向けて、今できることをやっていくこと。
それが叶えたい未来につながることでもあり、今を充実されていくことにも繋がると思っています。