仕事上でも日常生活でも、よく「相手視点で考えることが大切」と言われるし、自分も相手視点を大切にしている。
だけどなぜか、相手との関係が良くなるどころか悪くなっているし、自分自身もイライラしたり納得できなかったりすることが多いなと感じることもあるのではないでしょうか。
私自身も相手視点で考えて伝えているはずなのに、どうしてか相手から受け入れられない、受け入れられないから私はイライラするし、「相手のことを考えていっているのに!」という気持ちがどんどん増幅してしまうことがあります。
もしかすると相手の立場から見ると、私の伝え方や伝えている内容はピントがずれていて、価値観を押し付けられているだけのように感じているかもしれません。
だから納得できないし、距離を置きたくなってくる。
結果、物事がうまくいくどころか、余計に距離が離れうまくいかない要素が増えていってしまう…..
好んで相手との関係を悪くしたい、失敗させてやれ!なんて思う人は少ないはずなのに、どうしてこういうことが起こってしまうのでしょうか?
それは「相手視点」の捉え方が違っているんじゃないかなと思うのです
「相手視点」と言いながら、『自分』という枠でしか相手を見ていないから、”つもり”になっている
相手視点で考えるとき、「自分だったら○◯だから、相手も◯◯に違いない」という思考になることがあります。
これは子どもの頃に周りの大人たちから言われた「自分がされて嫌なことは相手にしない」「自分がされて嬉しかったことを相手にする」という言葉が影響しているのでは?と思うのです。
もちろんこの考え方はわかりやすいし間違っているわけではないと思うけれど、一方で「相手視点になっている”つもり”」を引き起こす戦犯なんじゃないかとも感じています。
なぜなら、自分の嬉しいと相手の嬉しいは違うし、自分が嫌なことと相手が嫌なことは違うから。
例えば私は、距離感が近いのが苦手です。
家族ぐらい近しい関係ではない限り、ハグをしたりされたりは好きではないし、プライベートなことをあれやこれや聞かれるのも、心の中に土足で踏み込まれるような感じがして苦手です。
でも初対面から人懐こく、相手の懐に飛び込んで距離を縮めるのが好きな人もいますよね。
そんな2人が、それぞれ自分の「嬉しいこと」「嫌なこと」を基準に相手と向き合ったら…..
結果は押して知るべし。全然噛み合わないはずです。
これは少し極端な例かもしれません。
褒められたら嬉しい、理不尽な扱いを受けたら嫌な思いをする…など多くの人は、こうやって受け止めるよねというものはあると思います。でも、そうじゃないものだってある。
そこが抜けてしまって「自分=相手」のように捉えてしまうことが、相手視点が”つもり”になってしまう要因の1つだと思います。
本当の相手視点って、その相手に聞いてみないとわからないと思っています。
相手のことをわかったつもりになるからズレる。
だとしたら、「わからないです。教えてください」と言うのが、一番確実ですよね。とは言っても、いつもいつも聞くわけにはいかないし、聞けない相手だっています。
だから「相手を観察すること」「自分の中に相手をみる(相手の中に自分をみる)」ということが、とても大切だと考えています。
相手を観察するとは、相手に興味を持つことでもある
相手視点を持つ上で、相手を観察することはとても大切なこと。
相手をよく見ている人って、手の差し伸べ方や声の掛け方が絶妙で、「そうこのタイミングで、これをして欲しかったの!」と感じることが多いです。
相手を観察するときに大事なのは、「相手に関心を持つこと」
ただ漫然と相手を見ていても何も気づきません(私自身にも大いに経験ありです。見ても見ても全然わからないなーと思っていたら、実はその相手に全然関心も興味も持っていなかった)
例えば好きな相手や子どものことはよく見ていますよね
何をしたら喜ぶのか/嫌がるのか
どんなときにどんな言葉をかけたら響くのか/響かないのか
きっと色々なことをキャッチしているはずです。
でも仕事の場になると、これがなかなか難しい。
一緒に仕事をする人は、いわゆる「好き/キライ」とは関係なく仕事をしなければなりません。それに日々のタスクに追われて、観察している余裕がないことも少なくない。
だからつい自分の頭の中で考えたことだけで対処してしまおうとするのです。
でも上司や部下、同僚など仕事をしている人たちとの関係がうまくいかなくて困るのは、結局自分自身。
だとしたら、例えば相手と話をしているとき、一緒に仕事をしているとき、少しだけ相手に興味関心を持って観察してみることが、巡り巡って自分の仕事を助けてくれることになるはずです。
「自分の中に相手を見る(相手の中に自分を見る)」の大切さ
もう1つ大切なのは、自分の中に相手を見ること。
これは自分を通して相手を見るのではなく、そのとき、その瞬間の相手の感情や思いを自分自身が感じること。
相手になりきって演じることに近いかもしれません。
相手になりきってみると、自分の中から相手の感情や思いが湧き上がってきます。
言わされているわけでもやらされているわけでもないのに、沸々と自分の中から湧き上がってくるものがあります。
それは自分の中にもある思いや感情。
その思いや感情を感じられると、相手に対する思いや接し方が変わってくるのです。
私自身、プロセスファシリテーターのトレーニングの一環で、何度も経験していますが、何度経験しても不思議な感じがします。
一見自分とは遠いように感じる人の思いが、自分の中にもあるんですよね。
それ以来、「この人のことはよくわからん」と思う人ほど、相手になりきってみる…をやるようにしています。
コツは頭で考えるのではなく、実際にその人になりきって言葉に出したり動いてみたりすること。
座る場所を変えたり、立ち上がって動いてみたりするとやりやすいかもしれません。
実は「相手視点に立てていないかもしれない」と気づくことから始める
「相手視点に立つ」って多くの場合、相手視点という名の自分視点になってしまいがち。
まずはここに気づくことが大事なんじゃないかと思うのです。
気づかないからこそ、「こんなに相手のことを考えているのに、わかってくれないのは酷い」とか、「ここまでやってるのに出来ないなんてダメなやつだ」と感じてしまうような気がします。
こうやって書いている私だって、相手視点ができているか?と聞かれれば、「あっ、やっちゃった」と思うことの方が多いです。
でも気づくことができれば、それを少しずつでも改善することはできます。
だから「もしかして相手視点になってないかも?」と自分を振り返ること、そして出来ていなかったなーと思ったら、次にどうするかを具体的に決めること。
1回でうまくいくことはないけれど、1mmずつの変化の蓄積が気がつくと大きな変化になっているはずです。