「過去を乗り越えて今がある」とはよく聞く話です。
自分にとって辛いこと、苦しいことを糧にして、今に繋げているって素晴らしいなと素直に思います。
過去の経験から学ぶこと、
自分が経験したことを振り返ること、
どちらも成長するためには大切なことです。でももしも、「過去を乗り越えなくちゃ」と思って自分を追い詰めているのなら、ちょっと考えて欲しいのです。
過去を乗り越える必要はありますか?
正しく過去を認識しているわけではない
過去の出来事を、あなたは正しく認識している(覚えている)と思いますか?
そりゃ、経験したことだから覚えているよ。と思うかもしれません。
でも実際に「正しく」覚えているわけではないんですよね。
自分の身に起こった出来事は覚えているかもしれません。ただ「あったことをあったまま」覚えているわけではなく、そこに自分自身で意味を作り上げています。
そしてそれこそを「本当だ」と思っているわけです。
しかも、ずっと同じではありません。
その時々によって、過去は作り替えられていきます。より美化されるかもしれないし、より辛く悲しいものになるかもしれない。
それぐらいあやふやなものなのです。
乗り越えなくちゃと思えば思うほど、乗り越えられないことに意識がむく
詳細は言いたくないので書きませんが、私も「乗り越えなくちゃ」と思った過去があります。
もう35年ぐらい前の話です。
「乗り越えないと、その過去に囚われる」と考えていたんですね。だから自分なりに乗り越える努力をして、乗り越えた!と思っていました。
それが2年前に、ある事がきっかけで涙が止まらなくなったことから、「なんで乗り越えられてないんだろう」「どうすれば乗り越えられるんだろう」と考え続けました。
当然心身にはよくないですよね。
乗り越えよう、
乗り越えなくちゃ、
ここに意識が向かえば向かうほど、常にそのことが頭から離れなくなります。
脳は意識を向けたことに焦点を合わせますから。そして「乗り越えたいのに乗り越えられない過去」として、より強固に物語を構築し始めるのだと思います。
「乗り越えられない」を叶えようとするわけです。結局私は、乗り越えようとするのをやめました。
35年経っても乗り越えてないし、それを思い出させる場面は今でも全力で回避したいです。だけど「乗り越えなくちゃ」と意識を向けていた頃よりも、ずっと楽になりました。
今でも時々思い出したりするけどね、それに囚われることはなくなったかな。
過去はただ、そこに「あった」もの
専門家のサポートを受けながら、過去と向き合っている人もいらっしゃると思います。私は医師ではないし、過去を乗り越えることを否定したいわけじゃありません。
ただ、自分自身を必要以上に追い詰めてしまったり、余計にこじらせていたりするなら、無理して過去を乗り越えようとしなくていいのでは?と思うのです。
過去は、ただそこに「あった」もの。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
過去に対する解釈は変えられるけれど、物理的にやり直すことはできません。
そして今の選択と行動が未来を作ります。
だとしたら、無理に過去を乗り越えようと追い詰めるよりも、今の選択と行動に意識を向けて、自分が望む未来を作っていく方がいいのでは?と、私は思うのです。